『倫理』

『総合外科医』として実現したかったことは手術・『人生会議』外来・終末期の訪問診療

そのために少しでも知識を得ようと読書してきた古本をクリニックの片隅にならべました。

一番小さなIKEAのBilly

 →それでも私にとっては特別な “LOHA Library”

今日の患者さんが術後1時間もせずLibraryから手にとってくださったのはアルフォンス・デーケン先生の本でした

実は『倫理』の先生だそうです

術直後に倫理の先生と『人生会議』のお話や 先生も避けてきた『死』の話が出来ました

ハイデッガー:死への存在

 日常生活では、誰もが他人と同じようであって、誰一人として自分自身ではない

 このような誰でもと同じで、誰でもないような中性的な匿名の非本来的なあり方を、ハイデッガーは「ひと」と呼んだ

 ところが、日常のあいまいさにひたって生きる私たちが、ふと不安に襲われることがある

 不安は、自分はこの先どうなるのだろうかという、将来の未確定さから発生する気分である

 ハイデッガーは、とりわけ将来の究極にある死の可能性から、不安が迫ってくると分析した

 死は「まだこない」と思っていても、いつかはわからないが、いつでも、確実に訪れる究極の可能性である

 死の可能性と向きあうとき、私たちは誰ともわかることのできない、一回限りの、本来の自己の人生をを生きていることに目覚める

 死の可能性への不安を通して、私たちは日常生活に埋没したあいまいな「ひと」から、本来の自分自身へと連れ戻される

人間は、みずからの死を覚悟し、死の可能性と向き合うことによって、一回限りの人生を真剣に生きることの意味を見いだせることができる

市の可能性から目をそらさず、自己の本来の存在に目覚めることを。ハイデッガーは死に臨む存在(死への存在)と呼び、そこに実在のあり方を求めた

死に臨む存在とは死ぬことではなく、死の可能性に直面しながら、今、ここで、自己の存在に目覚めつつ真剣に生き抜く状態である

それは人生を真剣に、必死に、一生懸命に生きる覚悟といえよう

以上 「もういちど読む 山川 倫理」より

我々の対象である「ひと」を応援したくなるのは まさに『真剣に生き抜く状態』であることを文章を読みながら実感いたしました

ありがとうございます

みなさん

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